カルマヨーガकर्मयोगとは

先週ムクティ先生のクラスで学んだことをまとめて、先生にみていただきました。以下がそうです。

日々実践していく重要なことつまっています。

 

 

ギーター2章47・48節ではकर्मयोगとは何か、49節では行いをするときの心持ちについての教えです。

「कर्मには、選択肢があるが、कर्मफलには選択肢がない。」ということは、

行いには必ず結果があるので、ヴェーダーンタのいう行いということはどういうことか?と。

行いと結果の間にईष्वरをみられるかどうかがカルマヨーガであり、イーシュワラを認識することが、ただのカルマとは決定的に違う、ということです。

 

ただのカルマであれば、結果の良い悪いによって行い手(自分)のマインドが左右されてしまう。そのため、さらに良いことや都合の良いことのために行いをするサムサーラになるでしょう。

 

カルマヨーガは、どんな結果であれイーユワラのプラサーダとして認識できるため、結果にマインドが左右されない。समत्वंということは、マインドが左右されない、心が平穏なことをいう。アンタッタカラナシュッディも、心の平静であり、カルマヨーガによって得られることです。

イーシュワラを認識できればどんな結果になっても、有難く受け入れることができます。良いことばかりでなく、たとえ悪いことだったとしても受け入れる態度のことをプラサーダブッディといいます。

イーシュワラの認識なしには、カルマヨーガはありえないということ。そうするとダルマに沿った行いをし、行いはあたかもイーシュワラへの捧げものになるのです。このことをイーシュワラアルパナブッディといいます。