食べることについて、聖典がいうことは

アンナプールナ女神(ラクシュミー女神と同じことを示します)という食物をつかさどる神さまのストートラムのチャンティングを勉強しました。

また、チャンティングとともに、食べること(アーハーラ)食べ物(アンナン)についてヴェーダーンタでは、聖典ではどのように言われているかもvaanii先生に学びました。

 

アーユルヴェーダを学ぶ時も、アーハーラについては特別に、特別な先生に学んだのを覚えています。

今回のクラスでも、何度かアーユルヴェーダでは、と先生がおっしゃるのには、同じ食べ物の話をするにも、アーユルヴェーダとヴェーダーンタでは、食べ物の用途、目的は違うものですよ、ということでした。

 

肉体(ストゥーラ)の為に摂る食物はお薬になりますので、そこではベジやノンベジについての線引きはありません、そこがアーユルヴェーダの目的です。

 

精神の成長、マインドの平穏、モークシャのために摂る食べ物は、野菜であることが聖典には書かれていて、消化の火の神さまアグニデーヴァターをはじめとする身体の中の神さまへのプージャー、捧げものとしての意味があるそうです。

 

サットヴァな場所で、サットヴァな人がつくった野菜を、サットヴァな人がサットヴァな方法で食べることで、そのプージャーは大きな意味を持ちます。

 

そして一番大事なのが、食べ物は売るものではないこと。

人に与えるものだということ、です。

まずは、お供えをしてから食べることも、重要です。

 

これらの教えは、昔の話でも、インドの風習でも、机上のことでもなく

自分が理解していくことが重要です。

 

信じることではなく、自分が理解することです。

先生に教わったひとつひとつを、理解することが大事です。

そして、この教えの全体像をひともくには、毎日の生活と、

先生方のクラスでしっかりお話を聞くことが大事です。

 

ほんとうにシンプルなことなのですが、自分の考えでバイヤスの

かかったものの見方をすると、貴重な教えも、間違えた解釈のままになってしまいます。

自分勝手な解釈は、パーパでしかないでしょう。

 

わたしというアハンカーラが突出しないように

曇りのない眼で識別ができますように

日々のお祈りはそこから始まります。