今日は、年に一度の眼科検診。
障害者が障害者という身分証明をするために、また医療や生活の優遇を受けるために必要な手帳や年金についても、受給者証というのが必要で、年に一度は医師の診断書とともに役所に提出しなくてはならない。
だから、わたしは治療の必要のない(治療方法がない)難病指定の網膜色素変性症という障害なのだけど、治療のためでなく、書類のために、待ち時間も長く猛暑の時期にもう5,6年はこういった検査を受けるのです。
診断されて10年経つけれど、手帳やこういった社会のシステムを考える余裕がなく、絶望的な気持ちでひとり娘を育てないとならない日々に身を投じていたので、自分の中でなにかしらの決着がついてから、つまり、自分を障害者と認めてから、それまで5年くらいかかって、やっと、検診と受給者証をとりに行けるようになったのです。
が、最初は、視野検査の検査結果が悪いことに落ち込み、白杖を使うのをすすめられ落ち込み、2,3時間の検査時間が2,30年くらいの重くのしかかる疲労や老け込みに感じたものでした。
こういったことを書くことは、誰のため?誰かが幸せになるのか?と思ったけれど、大病をした人や、障害者になった人は必ず通る嘆きの時期があって、今思えばですが、笑ってこう言えるようになるということは、そうとうのギフトを人生の中でいただいたのだということを言いたくて、書きたいです。
イーシュワラからのプラサーダです。
去年は、コロナの影響で検査は中止、なので2年ぶりの検査で、医師はこういわれました。
視野も視力も進行していませんよ、と。
そう、進行性の病気なので、この医師の言葉は素晴らしいものです。
一年に一度、胸がじいんと熱くなる瞬間。
急いで娘と母にラインする。
何か生活で困っていることありませんか?と丁寧に聞いてくださるも、
わたしは実は何にも困っていない。
実際は、ほんとうによく見えない。よくつまずく、ぶつかる。
でも困っていない。
先生、困っていません。
でも、見えないでしょう?
はい、でも困っていません。
ええ?世間ではそれが困っているというのよ。
困っていない。
確かにぜんぜん見えないけれど、別のものがよく見えるようになって、あの絶望の日々からよくここまできたものだと、いまは幸せなのです。
感覚器官としての眼でなく、わたしを幸せにしてくれるのは、目の前に見えているものや現象だけではないと知ったから。
検査が終わって、ああありがたいなあ、ありがたいなあ
わたしの眼の話だけど、ありがたいと思うのは、いま幸せだと思うことで、こう思える道をつくってくださったサンスクリット語やヴェーダーンタの先生や仲間はもちろん、ご先祖さまに感謝だなあ、とありがたいなあ、ありがたいなあ、と思いながら国立駅に帰りました。
行きは周りの景色が目に入らないくらい、検査に緊張していたのだけれど、国立駅が新しくなってあの赤い三角屋根がありました。
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穴澤孝太郎 (水曜日, 18 8月 2021 10:50)
『困難さ』を乗り越えた先にある「至福」な境地。一隅を照らす宝に成りたいものです。